長谷川富三郎

版画家 長谷川富三郎(1910-2004)

ご命日 2004(平成16)年8月19日
行 年 95歳
ご法名 釋無弟

 長谷川先生は妙寂寺のご門徒でございました。浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされた「妙好人因幡の源左 語録板画集」を著すなど、浄土真宗にもご縁の深い先生です。

1910年(明治43年)に兵庫県姫路市に生まれる。1929年(昭和4年)に鳥取県師範学校を卒業し、倉吉市の明倫小学校に勤務する傍、1934年(昭和9年)に倉吉の文化団体「砂丘社」同人になり油絵を描くようになる。 そのころに吉田璋也と出会い民藝運動に参加する。そして同運動に関わっていた柳宗悦、河井寛次郎らに師事するようになり、1940年(昭和15年)より棟方志功との交友が始まる。戦後、その棟方のすすめで板画を始める。1954年(昭和29年)には、柳宗悦、濱田庄司、バーナード・リーチを明倫小学校に招いて講演会を開催した。1966年(昭和41年)に教職を退き、「無弟」の号を使い始める。 民藝を通じて写真家の高木啓太郎と親交を深め、高木が大山参道のお地蔵さまを撮影した写真集『新雪地蔵』を出版した際には、装幀とカット版画を担当している。写真集の出版を高木に勧めたのも長谷川だった。鳥取の建築家・本間精一を通じて清水公照と知り合い、高木が経営していた民藝店で清水を招く「土鍋の会」を度々開いた。 全国的に活動しながらも終生倉吉を本拠にし、鳥取県の芸術の振興に寄与した。2004年(平成16年)8月19日、敗血症のため死去 引用元:ウィキペディアの執筆者,2023,「長谷川富三郎」『ウィキペディア日本語版』,(2023年4月23日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%AF%8C%E4%B8%89%E9%83%8E&oldid=94138452)

長谷川富三郎先生墓碑

 長谷川富三郎先生のお子様方はお亡くなりになられたり、関東へ住を移していらっしゃいます。妙寂寺境内に長谷川家墓碑がありましたが、「遠方で十分にお墓の管理ができないこと」「近くに墓碑を建てたい」とのことから、2022(令和4)年12月に墓じまいをなさいました。

 先生は浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされた「妙好人因幡の源左 語録板画集」を著すなど浄土真宗とのご縁の深い先生であることから、今後は先生の顕彰を妙寂寺が引き続き行っていきたいとの旨を長谷川様にお伝えしたところご快諾を頂きました。

 墓じまいの際にその墓碑と先生のご遺骨をお預かりし、墓碑は手を加え、参道沿いに改めて建立し先生のご遺骨を納骨させていただきました。

 妙寂寺では、今後このお墓を大切にお護りすると共に、妙寂寺に収蔵の先生の作品展示などを含めて後世にお伝えしていこうと思っています。

 石材等で再利用できるものは再利用し、墓碑そのものはもともとの墓碑を加工し、先生の作品から「なむあみだぶつ(オリジナルは縦書き)」を彫らせていただきました。形状等はもともと先生が建立された墓碑の形の残しています。
 

 2023(令和5)年4月、墓碑が完成し納骨の上お勤めさせて頂きました。

長谷川富三郎先生作品寄贈のお願い

 妙寂寺では先生のご子息や地域の方々から寄贈された先生の作品を保管し、随時作品をご覧頂く機会を作っています。

 大切に後世にお伝えしていきますので、ご寄贈をお待ちしております。尚、買取は受け付けておりませんのでご容赦ください。