蜂!?大発生!!

2008年06月18日(水) 住職(第18世住職)

なにやら中庭からブーンという音が。

良く見ると蜂らしきものが飛び回っています。


わかりずらいですか?ってなわけで、飛びまわるのが収まった時に撮ってみました。松の木のしたにご集合してらっしゃいます。かなりの数です。


更に寄ってみました。巣でも壊れたんですかね。この異常ぶり。鳥肌が立ちました。お墓にお参りの際にはお気を付けを。



夾竹桃(きょうちくとう)

2008年06月17日(火) 坊守

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夾竹桃が咲きました。出身地の広島で息子たちは音楽の授業などにおいて「夾竹桃のうた」を習い歌っていたそうです。平和を願う歌として心に残っているようです。



しだれざくら

2008年04月09日(水) 住職(第18世住職)


平成四年に第二十四代即如門主が訪れられた際にお手植えされた「しだれざくら」です。たくさんの花をつけて見事に咲いています。数日の温かい日によって一気に満開となりました。

近所の打吹公園でも、桜が見事に満開となり日を問わずたくさんのひとで賑わっているようです。



維持する人

2007年12月11日(火) 住職(第18世住職)

 いくら良いものがあってもそれを管理・維持するものがいなくてはその美しさや機能を保つことはできません。様々な人の努力によって日本の文化が全国 各地に残っています。建物や庭、古き良きものに触れ見て感動したり癒されたりすることは、先人たちの「後世に伝えよう」という強い気持ちが我々に与えてく ださったものだと思います。

 昨日親鸞聖人の像と、その横にある龍のオブジェの下の玉砂利の清掃を住職と二人でしました。長年に渡る汚れを取り、当初の美しさまでは到底いきませ んがだいぶ綺麗になりました。特に玉砂利は底にヘドロみたいなのがたまっていて非常に汚い状態でした。しかし、現在は綺麗になり嬉しい限りです。

 お寺というのは、ご門徒様はもとより地域の皆様などに支えられ、今日の姿になっています。いくらいいものであっても、維持する者が大切に扱い維持する気持ちがなくてはなりません。

 先代の住職らが護ってきたこのお寺を今現在護る者として大切に維持する気持ちを忘れてはならない。という思いを改めて心に刻んだ一日でした。



秋彼岸法座

2007年09月20日(木) 住職(第18世住職)

今日は秋彼岸法座を営みました。昼一席でしたが、今日はとても暑くお勤めも汗がだらだら流れてほんと暑かったです。

「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言いますが、今年の残暑は厳しいです。でも、日は着々と短くなって確実に秋へと進んでいるようです。

今日のお説教は楽しい話をするタイプの先生で、分かりやすく笑いもあり、テンポの素晴らしいお話でした。中でも、「僧侶は特別な力を持っているわけではない」という話に共感を覚えました。

たまに、「何か見えたりするんですか?」と聞かれますが、私は特に皆さんと変わったところはありません。ただの人間です。身なりも、食べるものも、生活も、何ら皆さんと変わらないのです。欲もありますしね。

浄土真宗においては、それを考えると実に合理性があると思います。厳しい修行をすることが救われるということならば、それは万人ができることではありません。それでは、救われる人は限られた人間になります。僧侶は特別な能力を持っていないというのは、僧侶であっても皆さんと同じということです。僧侶はみ仏のみ教えを取り次ぐ職なのです。

ですから、「共ににみ教えを聴き、共に感謝し、共に慈悲の心で人に接しよう」ということなのです。

特殊な能力はありません。同じ人間であるということです。

人は何か特殊な能力に惹かれ、憧れます。そして、頼ろうとします。現代社会において、人に対するストレスは、現実的で大きいものとなり我々にのしかかってきますのでさらにその兆候は否定できないでしょう。

しかし、大昔のように天気の仕組みが分からず神頼みになっていた時代ではなくなり、だいたいの物は学問や技術によって分かるようになりました。そこで、昔からあった宗教というジャンルとしての立ち位置を今まさに考えるべき時代になったのかもしれません。

宗教は現代人にとって必要なのか?

僕も今からこの根底にあるものを考えつつ、人はなぜ宗教を必要とするのかという本を読んでみようと思います。