因伯子供学園

2014年04月06日(日) 住職(第18世住職)

創立者 八雲数枝 :1880-1969

 八雲数枝は天台宗の名門であり、比叡山きっての名僧といわれた姫宮大円の長女として1880年(明治13年)新潟県の勝念寺で生まれた。数枝は京都にある女子高の2年に在学中、倉吉の妙寂寺八雲竜震と結婚する明治後期の日清・日露の戦争の際には遺族や遺児たちが苦しい生活にあえいでいた。

 全国的に堕胎や褥殺が多かったが倉吉市においても例外ではなかった。八雲は褥殺の風習を知って驚き、堕胎を止めさせ、孤児や遺児を何とか救済しなければと思うようになった。

 1906年(明治39年)11月18日、数枝の誕生日に孤児の救済を目的とする私立因伯仏教孤児院を妙寂寺内に創設することができた。その後翌年から大正末期まで常時20ないし30名の孤児の世話をすることになった。

 1912年(明治45年)設立7年でようやく財団法人として認可され「因伯保児院」と名称を改めた。数枝自身にも9人の子供がいたが、孤児との区別は一切しない方針を貫き、食事、服装、学用品などは同じもので学校に通わせた。数枝の献身的な行いは檀家をはじめ、各方面の人々を感動させた。

 大正1年には国から、翌年には県から殆ど毎日のように補助金や奨励金を受けるようになった。しかし、実際の経営は大変苦しく、数枝は質屋通いを余儀なくされた。1969年(昭和43年)9月27日、「正しい往生をしたい」との言葉を残して恵まれない子供たちの救済に捧げた生涯に別れを告げた。

因伯子供学園と妙寂寺

 八雲数枝様の献身的な努力によってこの因伯子供学園は設立されました。その遺志を受け継ぎ、歴代住職がこの学園の理事長職に就き、学園と寺の懸け橋として、教育活動に邁進しております。