秋彼岸法座

2007年09月20日(木) 住職(第18世住職)

今日は秋彼岸法座を営みました。昼一席でしたが、今日はとても暑くお勤めも汗がだらだら流れてほんと暑かったです。

「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言いますが、今年の残暑は厳しいです。でも、日は着々と短くなって確実に秋へと進んでいるようです。

今日のお説教は楽しい話をするタイプの先生で、分かりやすく笑いもあり、テンポの素晴らしいお話でした。中でも、「僧侶は特別な力を持っているわけではない」という話に共感を覚えました。

たまに、「何か見えたりするんですか?」と聞かれますが、私は特に皆さんと変わったところはありません。ただの人間です。身なりも、食べるものも、生活も、何ら皆さんと変わらないのです。欲もありますしね。

浄土真宗においては、それを考えると実に合理性があると思います。厳しい修行をすることが救われるということならば、それは万人ができることではありません。それでは、救われる人は限られた人間になります。僧侶は特別な能力を持っていないというのは、僧侶であっても皆さんと同じということです。僧侶はみ仏のみ教えを取り次ぐ職なのです。

ですから、「共ににみ教えを聴き、共に感謝し、共に慈悲の心で人に接しよう」ということなのです。

特殊な能力はありません。同じ人間であるということです。

人は何か特殊な能力に惹かれ、憧れます。そして、頼ろうとします。現代社会において、人に対するストレスは、現実的で大きいものとなり我々にのしかかってきますのでさらにその兆候は否定できないでしょう。

しかし、大昔のように天気の仕組みが分からず神頼みになっていた時代ではなくなり、だいたいの物は学問や技術によって分かるようになりました。そこで、昔からあった宗教というジャンルとしての立ち位置を今まさに考えるべき時代になったのかもしれません。

宗教は現代人にとって必要なのか?

僕も今からこの根底にあるものを考えつつ、人はなぜ宗教を必要とするのかという本を読んでみようと思います。